2014年1月8日水曜日

火をつける。


火をつける。

そんな単純なようなことですが、日常、マッチを擦ってか、ライターをしゅっとして火をつけるのは、タバコを吸う人以外では、かなり限られた人なのかもしれません。

昨日もお客様とお話していて、興味深い話がありました。
それは、松原周辺に住んでいる住民が昔はかまどの焚きつけや薪などを拾いに松原を歩いて、その日その日に必要な分をそれぞれが調達しており、それによって各家の煮たきも出来て、しかも松原もきれいに維持できていたそうなのです。
それが、ガスが普及し、焚きつけや薪を必要としなくなったら、松原を歩いて枝などを拾う人もいなくなり、やがて、その枯れ枝やまつぼっくりなどが蓄積して腐葉土となり、そこをいい地面にして雑木が育って、松原が荒廃してきた・・・というそうなのです。

なにが便利で、なにが人の暮しに沿ったことなのか、、、

なにが大事で、なにが必要なことなのか、、、

よく、じっくりと考えて、自分の生活を省みる必要があるのではないかとお客様がおっしゃっていました。
私もそうだなと思いました。

先日、二丈岳を歩いた時にも、山の中にたくさん枝が落ちていて、それを拾って帰りたいなと思ったのです。
どう見ても山の持ち主がそんな枯れ枝を必要としているようには思えないし、うちに持って帰れば薪ストーブの燃料になるし。
でも、勝手に人の土地のものを持っていくわけにもいかないし、なんだかうまくいかないものです。

昔話で、「おじいさんはしばかりに、おばあさんは川で洗濯に・・・」などという決まり台詞がありますが、当たり前のように読んでいた「しばかり」の意味をわかってなかったのだなと思いました。
いろんなものが循環している昔の暮しがやはりいいのかなと思ったりします。

 火をつける、その瞬間はやっぱりいつもドキドキします。

火にあたって温かくて気持ち良くて、煮炊きができてご飯が食べられて、、、

そんなシンプルなことが、遠ざかっているような気がします。
エアコンから吹いてくる温かい風では、感じようがないですよね。
もっと、暮しがシンプルになるといいのになと思いつつも、ネットでいろんなものを注文して便利だなと思う自分がいる。矛盾してますよね・・・。

今日は朝から雨がやまず、降り続きました。
山を見ていると、霧のような、靄のような、しろい水蒸気が立ち上っては消え、美しい景色でした。
あの水蒸気はなんなんだろう?
木がはきだすものなのか?
山の地面がはきだすものなのか?
土砂降りのなかで立ち上る白い煙のような。。。。
しばし見とれてしまいました。


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